2015年12月31日木曜日

2015年12月31日

母親年をとり、戻って来いと催促あり。はやく出発したいが、妻がいっこうに起きてこない。とりあえずスマホ。

2015年12月30日

やっと落ち着いて昆虫同定作業を一日中。集中できてはかどる。このペースで毎日出来れば20日ほどで終わるが、雑用、電話などで乱される。年末のひとときのつかぬ間の自由時間。とはいえ仕事しているだけだが、やっと充実した仕事納め。

2015年12月29日

畑に寄ってから事務所。NPOの会計事務でほぼ夕方。昆虫同定作業を9時30分まで。閉店間際のスーパーに駆け込み、夕食の調達。

2015年12月28日

世間は仕事納めの日だが、年内最後の本業で福井県へ。19時から河北潟の昆虫標本の整理。23時にコンビニで酒のつまみを調達して帰る。

2015年12月27日日曜日

2015年12月27日

昨日の疲れもあるのか、仕事はほとんどできず、居眠りばかり。年末になったので買い物をした。

2015年12月26日

朝はゆっくり目の朝食の後、畑に行き堆肥の状態を確認。
事務所で今日のシンポジウムの準備をした後に会場に向かい、昼食を食べる時間もなく第1部の内部会議。2年ぶりに河北潟湖沼研究所の基本課題について話し合う。早急な具体的ビジョンの明確化をおこなうことを確認。シンポジウムは7題、研究者だけでなく市民、農家の参加のもとで活発な議論が出来、成果は上々。懇親会は15名が参加して20-30代が8名で過半数というこれまでの湖沼研究所の歴史中かつてなく、若手率が高かった。一方自分ははじめて高齢者の部に入った感じだ。当研究所としては珍しく2次会まであった。ここでも若者率50%以上で、新しいフェーズに入ったの印象。

2015年12月23日水曜日

2015年12月23日

ゆっくりと起きて、昨日調子が悪かったチッパーの整備。動きが良くなったので次回は問題なさそう。その他小さな耕耘機の調整。午前中に事務所につき、若干作業の後に名鉄エムザまで昼食。26日の懇親会会場を漁る目的。現地ロケハンでいい場所を確保できた。遠方からも参加者がある見込み。昼食から戻ったら昨日の疲れが出てオフィスの椅子で2時間の程度寝てしまった。休日にかかわらずスタッフ2名が仕事をしていたので、いびきで迷惑をかけたよう。別の安いんでいるスタッフの仕事のアドバイスのため調べ物をしていたら、セコムのアラームが施錠時間を告げる。もう帰れとの合図。

2015年12月22日

朝から畑で肥料づくり.。スタッフ3名が加わって4名での作業。チッパー不良で時間がかかるが、なんとか2トン分の堆肥を仕込む。事務所に戻って会議の準備をするが、事務局会議は連絡ミスでお休みになった。年末になったのでNPOの会計について勉強する。毎年同じことをしているが1年経つと忘れるので同じことの繰り返し。

2015年12月19日土曜日

2015年12月19日

午後から柴山潟住民視察団の対応で、その他雑用で21時30分。視察団との交流は実りあったが、仕事は進まず、あきらめて帰る。

2015年12月18日金曜日

2015年12月18日

風邪が治りかけですこしゆっくり起きる。
畑で金曜マルシェに出荷するゴボウとジャガイモを掘り出す。
久しぶりに朝飯と弁当を作る。
スタッフはマルシェへ、自分は留守番で風邪の後遺症でうとうとと眠く、仕事ははかどらない。
昼間、時間がとれず午後8時30分よりスタッフミーティングを10時まで。年末に向けての意思統一を図る。まあまあ良い感じにまとまる。

2015年12月6日日曜日

2015年12月6日

朝から昆虫の同定作業。このところ連日やっている。自分の仕事ではなく、もともとNPOスタッフの給料にするため請け負った地域の調査の仕事であるが、同定は自分しかできないため、スタッフは休日で出勤してこないは当たり前だが、誰のために働いていると思っているんだと、ぶつくさ言いながら、根詰めて作業を続ける。しんどい作業である。それでも頭はあまり使っていないので、いろいろ余計なことを考える。自分の仕事もそうだが環境アセスメントなど生物系の自然環境の仕事は頑張って現場をやり過ぎる傾向がある。どんな現場でも思い入れが強くなってしまう。今回の仕事もここまで同定を頑張る必要もないのだが、手を抜くのがしゃくで、採った標本は全部活かそうと頑張ってしまう。
自分の仕事では、その半分程度の比重を占めているのが、環境アセスメントの仕事である。最近は新規の事業は減っており、事後調査みたいなことが増えている。
アセスメントは開発行為をスムースにおこなうための手段であるが、自分は開発を止めるために頑張って仕事をしてきたところがあり、かつては求められていないことまでして、良かれと思っていろいろ提案していた。あるときこのことに気がつき、この仕事の関係者の誰もそんなことを望んでいないことがわかった。みんな一所懸命になっていたのは、この仕事をスムーズにこなして早くクライアントが望む状況を作ってやることであった。仕事を請け負うものとしては当たり前の心構えであり、自分の方が仕事人としては間違っていた。以後は、クライアンが受入可能であり、保全対策を講じることにより社会より評価を受けやすいということを含めて環境対策の提案をすることにしている。開発行為自体を問題にする場合は違う枠組みの中でおこなう必要があり、中に入ってやっている醍醐味は、限定されながらも直接的に対策を組み込める可能性があることである。その辺を段取りを間違わないようにするように心がけている。しかし心は正直であり、すこし仕事への情熱はなくなった。いずれ潮時と思っている。
大きな事業になるほど現場とクライアントの間に何重ものフィルターが入り、下りの経路としては、金がフィルターされて、現場には本当にすこししか落ちてこなくなる。上りの経路としては、現場の魂が抜き取れていき、無味乾燥な報告書になる。

2015年12月5日

今日は、自分の仕事で能登の現場に出て、比較的早く家に戻る。なぜかというとマイナンバー通知カードを受け取らなければならなかったからだ。10日ほど前に不在通知が入っていた。毎度のことだが、郵便の配達時間に家にいることはほとんどないので、書留は過去全て不在通知になり、いつも郵便局に取りに行く羽目になる。以前は、郵便局が家の近くであったため仕事場から取りに行くのがたいへんであったが、郵便局の合理化により家の近くの郵便局での受取が不可になり、事務所の近くの郵便局に変わったため、かって便利になった。もちろん事務所に転送してもらうことも可能であるが、そのために不在通知に記入してポストに投函するのが面倒なため、いつもは取りに行く。
しかし今回の通知は自分で取りに行くのがしゃくだったため、不在通知に日時を書いてFAXで送っておいた。そのため、慌てて現場から帰ってこなくてはならなかったので、結局面倒な目に遭った。受取を拒否する手もあるが、既に番号は発行されており、役場からの通知など面倒が増えいずれ取りに行くことになるので、ここでの抵抗はしないことにした。
夕方に家に帰り、通知を無事受取った。時間通りに配達員は来た。すごく疲れている様子だったと受け取った妻が言った。まあ、おかげでたまに家でゆっくりと風呂に入り、すこしのんびりと過ごすことができた。
封を開けてみてびっくりしたのが、妻と下3桁以外は同じ番号だったことである。これでは、自治体毎に名前順に通し番号をつけているに違いない、すぐに推定できてしまうではないかと大騒ぎしていたら、妻が、それは申請番号よと教えてくれた。マイナンバーは別のところに書いてあり、妻とは最初一桁だけが同じで、当たり前ながらランダムに割り振られているようであった。
早速、番号の語呂合わせを試みたが、うまくいかないので止めた。久々に0時前どころか9時過ぎには寝てしまった。