2015年12月6日日曜日

2015年12月6日

朝から昆虫の同定作業。このところ連日やっている。自分の仕事ではなく、もともとNPOスタッフの給料にするため請け負った地域の調査の仕事であるが、同定は自分しかできないため、スタッフは休日で出勤してこないは当たり前だが、誰のために働いていると思っているんだと、ぶつくさ言いながら、根詰めて作業を続ける。しんどい作業である。それでも頭はあまり使っていないので、いろいろ余計なことを考える。自分の仕事もそうだが環境アセスメントなど生物系の自然環境の仕事は頑張って現場をやり過ぎる傾向がある。どんな現場でも思い入れが強くなってしまう。今回の仕事もここまで同定を頑張る必要もないのだが、手を抜くのがしゃくで、採った標本は全部活かそうと頑張ってしまう。
自分の仕事では、その半分程度の比重を占めているのが、環境アセスメントの仕事である。最近は新規の事業は減っており、事後調査みたいなことが増えている。
アセスメントは開発行為をスムースにおこなうための手段であるが、自分は開発を止めるために頑張って仕事をしてきたところがあり、かつては求められていないことまでして、良かれと思っていろいろ提案していた。あるときこのことに気がつき、この仕事の関係者の誰もそんなことを望んでいないことがわかった。みんな一所懸命になっていたのは、この仕事をスムーズにこなして早くクライアントが望む状況を作ってやることであった。仕事を請け負うものとしては当たり前の心構えであり、自分の方が仕事人としては間違っていた。以後は、クライアンが受入可能であり、保全対策を講じることにより社会より評価を受けやすいということを含めて環境対策の提案をすることにしている。開発行為自体を問題にする場合は違う枠組みの中でおこなう必要があり、中に入ってやっている醍醐味は、限定されながらも直接的に対策を組み込める可能性があることである。その辺を段取りを間違わないようにするように心がけている。しかし心は正直であり、すこし仕事への情熱はなくなった。いずれ潮時と思っている。
大きな事業になるほど現場とクライアントの間に何重ものフィルターが入り、下りの経路としては、金がフィルターされて、現場には本当にすこししか落ちてこなくなる。上りの経路としては、現場の魂が抜き取れていき、無味乾燥な報告書になる。

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