2025年2月27日木曜日

仙台での講演

 2月23日から25日まで仙台出張。

東北学院大学のH先生とM先生のお世話で、23日は、仙台市新浜みんなの家で地元のかたがたと語り合う会。河北潟での取り組みを紹介した。

24日は東北学院大学でのシンポジウムでの基調講演。震災前後の河北潟での研究実践について講演し、その後ディスカッション。

25日は仙台市里山のクロサンショウウオの産卵場訪問。

2025年2月20日木曜日

2025年2月20日

 気が抜けており、久々に昼間の居眠り。

かなり尻に火がついてきた。

東北の講演が控えていてるので、少しppttに着手。

2025年2月19日

 口能登に調査の仕事。

2025年2月18日

 歯医者で9.5万円の治療、顕微鏡下での歯根の細かいところまで洗浄と修復。良い感じで治ってきている。高いなりのことはある。

第8回河北潟流域シンポジウム

 2月15日から東北からのお二人をお招きして、河北潟の震災被害の状況視察、16日はシンポジウム、17日は能登半島の視察で目まぐるしい3日間だった。

2025年2月15日土曜日

2025年2月14日

保険のおばさんからバレンタインデーチョコ、今年は契約があったので モロゾフのチョコ、昨年は不二家のハートチョコ

万博大喜利

行くと羨ましがられたのが1970年万博、行くとばかにされるのが2025年万博

2025年2月14日金曜日

2025年2月13日

15日から始まるイベントの準備実務、23日からの仙台出張の旅券購入などの手続きで一日。和割と効率よく実務をこなすことができたが、作業が終わったのが夕方。19時より事務局会議。 

2025年2月13日木曜日

2025年2月12日

 旧中島町での仕事の後、珠洲の三崎まで震災後の状況を確認に行く。

仮設住宅が建設され、大方の前回住宅は撤去されていたが、場所によっては震災直後のままの状態で崩れた住居が残されている。

明かりがついている家もポツポツとあるが、全体はひっそりとしている。

震災後の福島を見ているので、あのようなゴーストタウンのような状況ではないが、今後、人がどれだけ人が戻ってるのか。

能登里山海道も横田IC手前までは仮復旧のままでうねったような道になっている。

能登里山海道に比べ、旧道は道顔大きく崩れていることは少ない。地形を無視した盛土切土の道路は問題がある。

2025年2月11日火曜日

2025年2月11日

心地よい疲れ、雑務を幾つかこなす。

2025年2月10日

8日から準備、2日間の調査会、久々にサンショウウオ三昧で若返る。

2025年2月7日金曜日

2025年2月7日 調子に乗るとろくなことがない

 某研究会の若い幹事に軽く指導したつもりが深刻に受け止められて失敗した。

フォローのメールで2時間くらい。その後あまり仕事をする気にならず、自動車のドアのスイッチが壊れたので、ディーラに電話するも対応2週間後のとのことで、自分で部品を探す、これに2時間度かかった。それらしいのが見つかり600円ほどなので注文したが、作業手順を探すのにまた1時間ほど。いずれにしても気が晴れない。CPAPをして4日目ではじめて昼間眠くなった。雪を見ながら故郷のことを考える。

夜8時頃、やっとスタッフから少しものになりそうな企画案が出てきた。

2025年2月6日木曜日

2025年2月6日 偉そうな指導者モード

能美市のイベントの下見で往復2時間半。スタッフ各2名と個別に補助金応募の企画打ち合わせ。勢いあまり某研究会の若い幹事にも余計な指導、指導者ぶりの1日

2025年2月5日

スタッフミーティング、各スタッフに課題割り振り、夕方までラフな企画づくりを命じ、夕方より各スタッフと個別ミーティングで企画を詰めていく。組織として少し様になってきた。

2025年2月5日水曜日

2025年2月4日 CPAPデビュー

午前中は助成金書類準備、間に雑用が入り進まない。
午後は歯科治療、何度も治療してきた右下7だが見つけにくい歯根があって放置されていたようだ。さすが顕微鏡を使った9万円の治療だけある。永年奥の方にあった重たいものが取れてすっきりした。
もう一つすっきりしたのは朝の目覚め。昨晩から無呼吸症の治療を始めた。CPAPデビューである。1日目から効果絶大、なぜもっと早くから始めなかったのか、だいぶ人生を無駄にしてきたような気がする。一方で、薬や機械に頼り始めた自分がいることに気づく。

2025年2月4日火曜日

2025年2月3日

午前に医療機器の搬入と使用方法の説明があるため、自宅で待機。その間、チキンカレーを仕込む。時間に余裕があったためなかなかの出来。昼前に出勤。シンポジウムの宣伝、集客対策を考える。zoomで統計ソフトの導入レクチャーを受ける。freeeは発売開始前のまさにfree立ったときに導入を試みたことがあるが、当時クラウドに銀行口座含め会計情報を入力するのに抵抗があり、途中で止めた経験がある。それからだいぶ遅れてのデビューとなったがすでにインターネット銀行や各種web取引をしていることから、クラウド会計によりかなり自動化できそうである。もっと早く導入すべきだった。

2025年2月2日日曜日

2025年2月2日

 昼過ぎに出勤、河北潟湖沼研究所の設立の経緯がホームページであまり紹介されていないので、遡って資料を漁っていた。記録がきちんとした形で残っていないものが多く、掘り起こしを少し時間をかけて行っていこうと思う。自分的には残務整理の時期に入りつつあるとこを感じている。ただ、まだ新しいことをやりたい気持ちも残っている。収入を減らしても、少し仕事を減らしていきたい。見えないところを含め何かと組織への投資は半端ではないので、組織が自立できることが不可欠である。実際、私が手を出さないでも動くところが増えているので、時間的には大分楽になっている。あとはスタッフそれぞれが稼げるようになれば大丈夫。

2025年2月1日土曜日

2025年2月1日 

1月は余裕があったこともあり、結構長かった。

矢作川研究所のシンポジウムをyoucubeで視聴する。

地域に根ざした研究所として地域の環境問題を地域の各主体それぞれがハッピーになる方法で問題解決を図る研究と実践を進めている。それを進める各研究員もハッピーな様に感じた。おそらく雇用待遇はあまり良くないだろうが、それを上回るやりがいがあるのだろう。ホームページのスッタフ紹介を見ると、さまざまな研究機関を渡り歩いてきた人が多い。やりがいを求めてここに行き着いたのだろう。研究が地域のハッピーにダイレクトに繋がるのであれば、確かにやりがいがある。

触発されて河北潟干拓地での応用を考えた。「Greenアートで進める干拓地の生態系保全と植生管理」プロジェクト(仮)を3月までにまとめるつもり。