マルシェ準備で畑作業、その後法人登記の関係実務。数日前まで下痢がひどかったが、体調は戻りつつある。
2025年6月6日金曜日
2025年5月29日木曜日
2025年5月18日日曜日
2025年5月8日木曜日
2025年5月7日水曜日
2025年5月7日
4月28日 現場の仕事
4月29日 吉倉のイベント
4月30日-5月1日 日本両生類研究会の調査会、1日は市民参加型調査会で20名以上が参加
5月2日 河北潟湖沼研究所の総会案内送付など内業、やや疲れが溜まっている。
5月3日-5日 半分休養モードであるが、午前中は畑作業、午後は溜まっている内業を坦々とこなす。I財団の訪問で吉倉を案内。体は休まった。
5月6日 助成申請書をひとつ作成、作業遅れスーパーの買い物は間に合わず。
6月7日 午前は畑作業、午後は定款改定案作成作業、freeeを使って会計作業を開始、エラーが回避できず。あまり使い勝手は良くない印象。ネット販売の処理などは自動化できるのでしばらく試してみる予定。
2025年4月27日日曜日
2025年4月21日月曜日
2025年4月16日水曜日
検索人間
2025年4月14日月曜日
2025年4月13日
4月11日 マルシェ準備で畑作業、5月1日の能美のイベントのチラシ発注
4月12日 昨日、注文していた中古一眼レフカメラが届き、本日バッテリーが届いたので、しばらくいじり回し、20年間使っていなかったレンズのメンテナンス。
4月13日 ほとんど万博関係のニュースを検索していた。万博会場は雨風を避ける場所もなく、食事もできず、トイレも使えない、まるで被災地のような状況とのこと。
2025年4月10日木曜日
万博
55年前に万博に行けなかったことが、心の底にずっと未練として残っているのか、どうしようもなく万博に行きたい。
しかし「いのち命輝く未来社会」というコンセプトを達成するための持続可能性とはほど遠い、むしろ逆方向を向いているこのイベントに大金払って出かけるのにはジレンマがある。何とか行ける理由を探してネット検索しても、ガス爆発がいつおこってもおかしくないとか、巨石が頭上に落ちてきそうとか、入場券を手に入れるのもたいへんだとか、入場に何時間もかかるとか、食べものはバカ高いとか、パビリオンは事前予約をしないと入れないとか、調べれば調べるほど、ネガティブな情報ばかりでてくる。
それでもこどもの頃、万博の公式ガイドブックを穴の開くほど見続け、パビリオンの回る順番まで夢想した夏休みが、どうしようもない焦燥となって甦ってくる。募る思いをどうするか。
2025年4月9日
新たに生きもの元気米の取り組みに興味を持っていただいた農家と現地で話す。その場で契約を結ぶことを確認した。
その後、干拓地と内灘で桜の状況確認と写真撮影。
能登島のGさん来所。しばし歓談する。
2025年4月4日金曜日
2025年3月30日日曜日
万博間に合うのか
万博が盛り上がっていない、新聞の特集を見ても記事はちらほらで、ぱっとしないニュースばかり。
そこで気運を盛り上げるのに妙案がある。
特集「万博まにあうのか」というタイトルで、毎日開幕までの残り日数をカウントダウンしながら、「間に合う」-「間に合わない」を投票してもらい、棒グラフまたは円グラフで結果を随時集計する。ニュースの中身としては、進捗状況をリアルに報道する。それぞれのパビリオンの建設状況を隠さず毎日更新し、大会諸準備のあたふたを、大阪知事の毎日言うことがころころ変わるコメント付きで報道する。購読者が、ハラハラドキドキ感で特集に釘付けになるのは間違いない。肯定派にもアンチにも注目度絶大た。ヘタに隠すから関心を失うのである。無理矢理開催日を迎えるドタバタ劇が臨場感を持って伝わってくる報道で、万博を盛り上げよう。
さて、こんなこと書いている場合でない。仕事しないと。
両生類調査隊
年度末にもかかわらず3月29-30日で北陸地区両生類調査隊活動。富山からの助っ人もあり、成果大。戻ってから明日提出の報告書作成作業。何時に終わることか。寒い1日、雨と時雨に打たれ疲れが溜まっている。もう一息。
2025年3月28日金曜日
2025年3月25日火曜日
Greenアート
「Greenアートで進める干拓地の生態系保全と植生管理」(案)
中央幹線排水路、湖岸堤防の草刈でアート
河北潟干拓地ではオオヨシキリの保全のためヨシの刈り取り時期を調整しているが、一歩進んで刈り残しをつくることにより、オオヨシキリの隠れ家を残し、その他、昆虫類などの生息を保証する。線状に刈り残しをつくることで動物のコリドーとするとともに、ヨシ原をアートして、干拓地の新たな観光資源とする。業者の刈り取りでは、「KAHOKUGA」の文字を刈り残す。刈り残した一部をキャンバスに見立て、アートイベントを行い、好きなメッセージを表現する。その他ヨシ迷路など。アートであるとともにエコロジーな取り組みとする。こうした取り組みは来訪者から一見してわかる。抽象化された看板より、取り組みがダイレクトに伝わる。
防風林の選択的伐採は以前から進めているが、もっとPRする。花が咲く木を増やしミツバチを養蜂する。実がつく木を増やし、巣箱を設置する。これらをPRする。
コウノトリの大食漢としての特性を利用した外来種駆除を検討
市民参加のチクゴスズメノヒエ除去で管理者の負担軽減と生態系創生
ポイントは楽しくできること、遊び要素を入れる、実施者自体が楽しめること
2025年3月25日
本業モードで21日、22日と現場で、22日から報告書まとめであるが、調子が乗らず作業がはかどらない。 NPO新社員は、やる気はあるが空回りで報連相できず、またやること全て中途半端のまま手を広げ問題多く、目下最大の悩みの種。
2025年3月24日月曜日
老眼
2025年3月23日日曜日
2025年3月21日金曜日
2025年3月20日
国連の「 Symposium to Support the Recovery of Noto Peninsula 能登復興支援 国際シンポジウム 『災害に強い地域の復興を目指して - 能登・東北・世界から学ぶ自然を活かした防災・減災』」を視聴。現地からの報告がたいへん勉強になった。過疎化高齢化が進む奥能登での震災復興を好機と捉え、新しい地域づくり家と繋げる発想がすばらしい。確かに何も起こらんかったらこのまま衰退する一方であった奥能登が、たくさんの外部の力を得て変わりうる可能性が生まれつつある。これから長期手な取り組みに繋げていくのが課題であるが、そうしたしてからの移住者や関係人口の増加の緒ができつつある。
2025年3月19日水曜日
2025年3月16日日曜日
2025年3月16日
前日は、議事録2件、作成などでややのんびりと過ごす。
本日は、小一時間の畑の種まきの後、日曜日だが出勤するも小説読んだりでだらだらと過ごす。夕刻より少しだけ仕事、年度末に宿題が後回しになっている。
2025年3月14日金曜日
河北潟クリーン作戦実行委員会
3/13午後から河北潟クリーン作戦実行委員会。参加者からの質問、補足がたくさんでて、各自が自分事としてクリーン作戦に取り組んでいることがわかる。さらに良い取り組みになってきた。
2025年3月13日
税務申告でロックがかかってしまったのを外すため、市役所窓口へ。ロック解除の手続きは簡単だが、本人確認は住所と生年月日で顔認証はされた気配がない。免許証の提示を求められるかと思っていたがそれはなし。マイナカードと免許証が一体化されたらどうなるのかとの質問まで用意していたが不発に終わる。
説明書をもらってよく見ると、電子証明(暗証番号)の有効期限は5年とのこと、当方、納税で1年に1回しか使わないので5回使うごとに市役所に更新に行かなければならない。また年1回の利用だと確実に暗証番号を忘れる。毎年市役所に行く羽目になる。はたして市役所に行くべきか税務署に行くべきか、それが問題だ。
2025年3月12日水曜日
2025年3月10日月曜日
ジェンダー
2025年3月9日日曜日
北雪甘くなった?
2025年3月8日土曜日
社会主義に収斂する資本主義
2025年3月8日
月末の調査会の絡みで質問が来たので、種の保存法について改めて調べる。多くの調査者が法の趣旨と規制の解釈が整理されていないのではないかと感じる。
種の保全のための自主規制は、市民科学の発展や市民の種の保全への参加の抑制に繋がる可能性もある。さらに、保全のための調査の自主規制にも繋がりかねない。一部のアカデミズムやその取り巻きの知の独占欲求、あるいは独善からの横やりにも注意が必要である。
2025年3月7日
午前は、 google for nonprofitsの設定作業。相変わらずなんだかわからない。
午後からdocomo助成の中間報告会。アドバイザーのWさんからは温かい励まし、Kさんからは多角的な視点からの示唆に富んだアドバイスをいただく。
15:30から理事会の資料を作成、19:00からオンラインでの理事会
2025年3月6日
午前中は、旧ホームページのメンテナンス。問い合わせフォームを悪用したスパムメールが1000通以上届いたため、使っていないフォームの削除などの対応で、ひさしぶりにhtmlファイルをいじる。スタッフミーティングの後、ジョセキンで購入する備品について吟味。査読をひとつこなす。
2025年3月4日火曜日
白米千枚田の光と影
2月17日に東北から来られた人たちとY先生の案内で能登の災害現場を視察した際に、輪島の白米千枚田に立ち寄った。
そこで2月23日の仙台での講演の際に、白米千枚田について予てから考えていることを話した。
観光政策として千枚田に光を当てることを悪いとはいわないが、本来は能登の農業が成り立っていてこその千枚田であり、光が当たっていないところでどういうことが起こっているのか、放棄水田が増えていること、そういうところにサンショウウオがすんでいること(千枚田にはいない)ことなどを話した。
千枚田は急ピッチで復興を進め、クラウドファウンディングでも多くの人が支援しているが、復興の光と影があるのではないかといった問題提起をさせていただいた。
そのようなところで、朝日新聞の記事「「急ぐのが本当に良いことなのか」輪島・千枚田、愛着の持てる復興を」。
https://digital.asahi.com/articles/ASS8Q264XS8QPJLB00MM.html?pn=11&unlock=1#continuehere
続いて、3月3日の金沢大学のシンポジウムでも白米千枚田の話が出ていた。
「白米千枚田における持続可能な観光についての一考察」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkanko/64/0/64_13/_article/-char/ja/
能登での農業が持続可能であってこそ、千枚田の景観も持続可能になる。
光が当たっているところをライトアップするだけでなく、光が当たっていないところにも光を当てていく取り組みが期待される。
2025年2月27日木曜日
仙台での講演
2月23日から25日まで仙台出張。
東北学院大学のH先生とM先生のお世話で、23日は、仙台市新浜みんなの家で地元のかたがたと語り合う会。河北潟での取り組みを紹介した。
24日は東北学院大学でのシンポジウムでの基調講演。震災前後の河北潟での研究実践について講演し、その後ディスカッション。
25日は仙台市里山のクロサンショウウオの産卵場訪問。
2025年2月20日木曜日
2025年2月15日土曜日
2025年2月14日金曜日
2025年2月13日木曜日
2025年2月12日
旧中島町での仕事の後、珠洲の三崎まで震災後の状況を確認に行く。
仮設住宅が建設され、大方の前回住宅は撤去されていたが、場所によっては震災直後のままの状態で崩れた住居が残されている。
明かりがついている家もポツポツとあるが、全体はひっそりとしている。
震災後の福島を見ているので、あのようなゴーストタウンのような状況ではないが、今後、人がどれだけ人が戻ってるのか。
能登里山海道も横田IC手前までは仮復旧のままでうねったような道になっている。
能登里山海道に比べ、旧道は道顔大きく崩れていることは少ない。地形を無視した盛土切土の道路は問題がある。
2025年2月11日火曜日
2025年2月7日金曜日
2025年2月7日 調子に乗るとろくなことがない
某研究会の若い幹事に軽く指導したつもりが深刻に受け止められて失敗した。
フォローのメールで2時間くらい。その後あまり仕事をする気にならず、自動車のドアのスイッチが壊れたので、ディーラに電話するも対応2週間後のとのことで、自分で部品を探す、これに2時間度かかった。それらしいのが見つかり600円ほどなので注文したが、作業手順を探すのにまた1時間ほど。いずれにしても気が晴れない。CPAPをして4日目ではじめて昼間眠くなった。雪を見ながら故郷のことを考える。
夜8時頃、やっとスタッフから少しものになりそうな企画案が出てきた。
2025年2月6日木曜日
2025年2月5日水曜日
2025年2月4日 CPAPデビュー
2025年2月4日火曜日
2025年2月3日
2025年2月2日日曜日
2025年2月2日
昼過ぎに出勤、河北潟湖沼研究所の設立の経緯がホームページであまり紹介されていないので、遡って資料を漁っていた。記録がきちんとした形で残っていないものが多く、掘り起こしを少し時間をかけて行っていこうと思う。自分的には残務整理の時期に入りつつあるとこを感じている。ただ、まだ新しいことをやりたい気持ちも残っている。収入を減らしても、少し仕事を減らしていきたい。見えないところを含め何かと組織への投資は半端ではないので、組織が自立できることが不可欠である。実際、私が手を出さないでも動くところが増えているので、時間的には大分楽になっている。あとはスタッフそれぞれが稼げるようになれば大丈夫。
2025年2月1日土曜日
2025年2月1日
1月は余裕があったこともあり、結構長かった。
矢作川研究所のシンポジウムをyoucubeで視聴する。
地域に根ざした研究所として地域の環境問題を地域の各主体それぞれがハッピーになる方法で問題解決を図る研究と実践を進めている。それを進める各研究員もハッピーな様に感じた。おそらく雇用待遇はあまり良くないだろうが、それを上回るやりがいがあるのだろう。ホームページのスッタフ紹介を見ると、さまざまな研究機関を渡り歩いてきた人が多い。やりがいを求めてここに行き着いたのだろう。研究が地域のハッピーにダイレクトに繋がるのであれば、確かにやりがいがある。
触発されて河北潟干拓地での応用を考えた。「Greenアートで進める干拓地の生態系保全と植生管理」プロジェクト(仮)を3月までにまとめるつもり。
2025年1月31日金曜日
内灘町の液状化対策 工事着手は早くても令和9年度に
内灘町の液状化対策 工事着手は早くても令和9年度に
NHK石川NEWSWEB2024年11月6日によると、液状化の対策工事について着手できるのは早くても令和9年度になる見通しが、内灘町から示されたと報じている。
内灘砂丘内陸側裾部をどのようにしていったら良いのか、話し合う時間はまだある。じっくりと取り組みたい。
2025年1月31日
胃カメラ検査の結果を聞く。逆流性食道炎がややひどいとのこと。以前からのことであり、夜の食べ過ぎ(飲み過ぎ)注意か。
東大のY先生と電話で1時間、自身プロジェクトを前に進めるための意見調整。いろいろお叱りを受けながら、こちらの体制のふがいなさをわびる。歳をとり、こうした叱咤激励を受けることが少なくなってきているのでありがたいこと。
電話の中で、埼玉県の液状化の話題。河北潟周辺も下水道が緩んでいるので同じようなことが起こるのではないかと。
そこでネットを調べていると、日本刑事新聞の記事。石川県は東京都に続き腐植の怖れがある下水道管の長さが全国2位とのこと。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE309ZB0Q5A130C2000000/
日経Xtechによると、「基幹管路の耐震適合率は全国平均で41.2%に上る一方で、石川県は36.8%と低い。全ての管路で見た耐震適合率は全国平均で27%。石川県の輪島市では12.9%、能登町では16.7%と低さが目立つ」とのこと
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00142/01826/
今後、下水道についても要注目。
2025年1月30日
予てから河北潟干拓地における排水路工事方法について申し入れをしており、農水省(北陸農政局)から説明を受ける。自然環境への配慮をできるだけ考えて事業を進められており、できるところできなところはあるものの、こうした細かな話し合いが大切であることをしみじみと感じる。毎回のことであるが、自然再生協議会(準備会)への参加を要請した。
2025年1月29日
胃のムカムカがとれず胃カメラ検診、生検採取もされなかったので多分、飲みすぎかな。
胃カメラ検診前に医師より、無呼吸の検査結果を聞く。どうやら無呼吸は確定で、重傷のよう。
午後はややだるく、居眠りをして過ごす。
仕事がはかどらない。無呼吸のせいにする。
2025年1月29日水曜日
2025年1月28日
・午前歯科治療ののちS病院へ測定機器の返却
・環境省主催の生物多様性に関するフォーラムの中継を聞く。予想どおりであまり目新しい話題はなかった。
・明日の胃カメラ検診に備えて8時前に事務所を出て8時過ぎに帰宅。9時から絶食のところ、食べ始めが遅く30分オーバー。
2025年1月27日月曜日
2025年1月26日日曜日
2025年1月25日土曜日
再びブログ再開を誓う
2020年5月30日にブログの再開を誓って、その後いくつか書いただけで、4年以上が過ぎていた。日記の代わりというか備忘録として日々の記録をまとめておくのがこのブログの第一の目的、日々の思索のメモとして、思いついたことをメモしておき、後に整理したいというのが2つめの目的であったが、いずれも中途半端になっている。
事務所のスタッフは毎日出勤簿を付けていて、比較的細かく日々の作業をメモしているので、何月何日に何をしたということが、出勤簿を見ればわかるが、私の場合は、ほぼ記憶が頼りになるが、もう歳なので少し前の記憶もあやふやである。1年前の旅行でさえどこをどう回ったか思い出せないことも多い。そこで旅行については、この5年くらいは列車検索の結果を印刷したものやホテル予約表を印刷して、一式保存している。そのほかの外部記憶装置としては、1990年代からスケジュール帳を保存している。最初は紙のシステム手帳を使っていたが、2005年~2017年までは「秘書君」、その後はgoogleカレンダーのデジタル情報のみとなっており、これが私の生きた証となっている。しかし項目だけのメモなので、例えば「講演」などと書いてあっても、人前で喋ったはずのことも、どこで何を喋ったのか全く覚えていないものもある。ただしpptは毎回残すことしているので、人前で喋ったことの責任の分くらいは振り返ることができそうである。その他、イベント的な出来事はわかるが、日常をどう過ごしたのかはほぼ記録が残っていない。それから自分が書いて公表したもの、公表せずにPCに残っているものは、掘り起こすことが出来る。しかし、30年も経ってしまったdr.論のデータなどは、5インチFFDに保存されているものもあり、また、wordの文章やexcelの図が変換できなかったり、かなり危機的状況である。寿命も残り少なくなってきたので、いよいよ何とかしなければならない状況になってしまった。
2023年までは、本当に死ぬ一歩手前くらいまで仕事が年がら年中切羽詰まっており、ついぞこの雑記帳すらほっぽらかしていた。2024年度からは仕事が極端に減って、そろそろ年金生活への移行期と親の介護の時間の確保にちょうど良いかと考えていたが、2024年元旦の地震への対応で仕事が減った分、調査や記録のまとめ、シンポジウム、出張で講演など、内容は違ったが忙しさでは同じような1年になった。
2025年になってから、地震関係も一段落ついてきたというか、たまたまかついにか本業の仕事のスケジュールが空いて、2週間くらい時間を持て余すことができた。こんな時こそ、これまで溜まっている宿題、特に研究でやり残していることを片付けていけば良いのであるが、それまでの過労なのか歳なのか、昼間でも極端に眠くなり、1日12時間くらい寝ているような気がする。朝起きるのが遅くなったのと、事務所には正月2日から1日も休みなく出勤しているものの、パフォーマンスは極めて悪く、2~3時間くらいはデスクの椅子に座ったまま居眠りをしている。そのため、スタッフは私のいびきを聞きながら仕事をしなければならない羽目に陥っている。起きれば起きたで文句ばかりいっているらしく、何の役にも立たない邪魔な存在になっているようだ。気分転換にどこかに旅行でも行けば良いのだろうが、そこまでの暇でもなく、何らかの仕事は毎日ある。メリハリ付けて切り替えできるタイプでないので、没頭するか、ボーとするかどちらで、このところはボーとしているばかりである。
ボーとしていると、余計な情報を仕入れたりする余裕がすこしできて、本当は切羽詰まったことから始まったことであるが、調べ物をしているうちに「自然アクセス権」という言葉を見つけ、それについて情報を昨日少し収集した。とても興味を持ったのと、実際に今後の活動に有用な考え方であると感じた。本も数冊注文したので明日くらいから届くだろう。専攻してKindleで「登山者のための法律入門」という本を流し読みした。とても平易な文体で書かれており1時間ほどで読むことができた。内容は自然アクセス権とは直接は関係の無いのものであるが、「山はだれのもの」かということを考えるヒントとなればと思い読んだのものである。その点でも有用な知識が得られたが、同時に自然を使ったさまざまな取組、例えば自然観察会やエコツアーをする上での必要な法律知識を知る上でとても役に立った。Kindleで読んでしまったが、スタッフにも読んでほしいので紙版も買うことにした。
ところで、またいつまで続くかわからないが、2025年、防備録を再開したいと思う。
昨日1月24日(昨日)の防備録
・うち5時間ほど能美の自然観察会関係の雑務(うち1-2時間居眠り)
・うち30分ほどスタッフミーティング
・うち5時間ほど自然アクセス権に関する資料集め
昨日のことですらgoogleマップオンタイムラインに頼っている私。自分の生涯がこのように記録されているのですね。気になって調べたら「マイライフ」なのていうAIが日記を付けてくれいアプリもあるのですね。人の人生がデジタル化されていくのを感じます。